土中環境 山形造作 19・20
目次
山火事
山形に向かう途中の電車から、南陽市のあたりで山火事を消す資材を運んでいるヘリが見えました。
昨年夏の降水の少なさと、冬の雪不足で山が乾燥していたのだと思います。山形で山火事を聞いたのは生まれて初めて、気候が変わっているんだなあ。
山火事の後は植生も変化するようなので、跡がどうなるのか気になります。
5月の花木
アズキナシ
藤
タニウツギ
ナツグミ
ウワミズザクラ
草刈
暖かさからか、5月の上旬とは思えないくらいに草が伸びていました。東屋やピザ釜のリクエストはあったけれど、一旦保留で草刈り。
4月に作った階段のところからハコベ?のような草。
ハルザキヤマガラシ?
日本タンポポ
今まで目立たなかった草が増えてきたように思います。残したいものを残しながら軽く草を刈りました。
チップソーからナイロンコードへ
1段目の段丘の斜面は夏〜秋口に葛の花からフラワーエッセンスをつくりたいのもあるので、そのままに。
他は人の歩くところを地際から刈って、その他は高刈り。
昨年までは草の勢い、太さ、強さも凄かったので、金属の歯が回転するチップソーを使っていましたが、今回からナイロンコードへ変更。
やってみるとやはりチップソーの草刈りよりも葉に対するダメージが少なく済むような感じで、その分か、自分の気持ちも楽。
ちぎられた草やらが自分に飛んできて大変、草やらまみれになるのですが、楽しい。
こんな感じになりました。目指すはやったからやらないかわからないくらいの草刈り。
オタマの大群
水が溜まっているところをみてみると、黒い塊が。よーくみてみるとオタマジャクシ。ひきがえるかなあ。群になって大きく見せて、身を守っているように見えます。
山椒魚のオタマ
群れになっているオタマの近くには山椒魚のオタマジャクシらしき姿も見えます。ウーパールーパーのエラのようなものがついていて、群れにはならずに割と堂々と日向ぼっこをしている様子。
上の段の湧水
雨が少ないと水が止まるので、浅い水脈なのだろうけれど、一段上がったと頃にある段丘から湧いている部分が、掘った状態で放置しているとそのまま泥詰まりしてしまうような感じでした。
なのでピザ釜の土台にしようと集めていた石でしたが、どうしてもこちらをやりたくなり、プラン変更。ここの水脈整備。
焼き杭作り
炭も欲しかったし、ついでに水脈整備に使う焼き杭も作ってみました。
母が火の番をしてくれました。
水脈の手入れ
こうして遠目でみると、湧き出しているところの上の両サイドに切り株があるのがわかります。きっとこの根がまだ仕事をしてくれている、水と空気を通してくれている。けれど掘ってみると、割と浅いところから粘土質になっています。
きっと昔は違ったのではないでしょうか。
切り株の上の土はフカフカだけれど笹が繁茂していたので、取り除いて青森ヒバを植えていました。
またここで大きな木が育てるよう、水と空気の道を蘇らせたい。
作った焼き杭を打ち込んで、その周りに石を積んでいきました。なかなか難しい。正解がどんなかわからないけれど、こんな感じに仕上がりました。
杭や炭による浄化と微生物環境の活性化、石と間に挟んだ草は水を緩やかにし、磨きながら、泥の流亡を防いでくれ、その重さがこの水脈にとって良い方に働きますよう願って形にしてみました。
山の斜面
斜面に植えたヤマハンノキや、クロモジ、ケヤキ、キハダ、みんな若葉を展開していました。
無事冬を越せてよかった。
近場で購入した行者ニンニクやイカリソウを近くに植えてみたけど、どうなるか。
段丘下の湧き出し
段丘上の水脈整備、あれで正解かどうかはわからないけれど、自分のエンジンがかかって、下のゴミが埋まっている湧き出し部分もなんとかできないかと。
湧き出しているところの上部に枝絡みを作って、土と炭くん炭、枝葉を盛ったところに仮植えしている桂を移植してみようと思い立って手をつけてみました。
水路の様子を見るために掘ってみると、やはりかつて建っていた家を解した際のものであろうゴミがまだまだ出てきます。なんとか機械を使わずにできないかと思ったけれど、水の通り道にとても影響を与えそうなところに埋められたけっこう太い柱が邪魔している。人力ではちょっと厳しい。断念して、後で機械を借りた時に手をつけることにしました。
ここはとても深いぬかるみがあるけれど、おそらく地下水脈とまだ繋がっているのではないかなと。
今は危なくて苦しい気持ちになる場所だけれど、捨てられそうなゴミはなんとか取り除いて、小さな池のようにして、深くぬかるむ場所は杭を打ち、泥詰まりしないように造作してみたいと思います。
画像からも伝わってきますが、やはりここは気持ちが悪くて怖い感じがします。この場所が気持ち良くなったらまた一段と全体に良い影響がある気がしてなりません。
蓬オイル成功
自分に使うマッサージオイルとして作りたくて、昨年油でそのまま茹でて、美味しそうな香りになってしまい失敗。高級蓬石鹸ができました。それはそれでとても良かったけれど、今度こそとヨモギオイル作りに再挑戦。
今回は湯煎で優しく煮出しました。もうちょっと濃さがあっても良いかもしれないけれど、まあまあの出来かなと。
優しい感じのヨモギオイル、もし欲しい方がいればまだお分けできます。
6月の草刈
5月にある程度刈っていたので、それなりに穏やかな草の表情。
こころなしか緑のバリエーションが増えた気がします。
クローバーが生えてきた。稲科っぽい小さいものも。
キショウブは100年以上前にヨーロッパ、西アジアの方から観賞用として導入され、今ではその繁殖力の強さから環境省より要注意外来生物に指定されているそう。
負けずにショウブも綺麗に咲いています。
水の浄化の面もあるだろうし、オオハンゴンソウと同じく、ここに居るのにはきっと意味があるのかもしれないという視点で、ある程度干渉しながら、上手に付き合えたらと思います。
葛に巻かれつつあるハルニレ。
なんとか大きく育ってほしいけれど、どうなるか、、。
橋のところ、ウチワカエデ?が元気そう。
ナツグミがイタドリと葛に覆われそうになりながら実をつけていました。
渋甘くて懐かしい味。お腹が緩くなりやすい自分には心強い味方になってくれるはず。元気に育ってほしい。
ポポーの芽がでた
美洸に来てくださっている宇都宮の方にいただいた、ご自宅でできたというポポーの苗。枯れたかなあと、諦めかけていたけれど、芽がでてきました。嬉しい。
しかしカキドオシの勢いが凄い、高いところでは膝近くまで高く伸びています。
葦が表にいなくなった(地下茎はまだ様子をみながら地下にいるような気がします)ところを頑張ってカバーしてくれているようにも見えます。
段丘上からの水湧き出しのところ
水路は乾いていたけれど、湧き出しのところは水を保っており、トノサマガエルが気持ちよさそうにしていました。
今度は乱暴に泥をあげたりしないで、枝絡みを作ったり、枝払いをして風通しをしたり、点穴を掘ったり工夫しながら、上流から少しずつ澄んだ水が流れるよう、手入れしていきたいと思います。
移植したカツラの側
段丘中部向かって右側の水路を挟んで移植したカツラの生育が、仮植えしてある過去バークが入り栄養豊富なところにくらべるとやはり劣ります。
きっと桂はこの水脈を気に入って、その根がこの場所を安定させてくれるんじゃないだろうかと移植したのですが、周りの土を踏んでみると硬くて、これじゃあ水脈と繋がるのが難しいかも。
という事で、カツラの周り、硬い地面にダブルスコップで点穴を開け、炭や枝葉を差し込んで、通気浸透の起点を増やしてみました。
水路
湧水からの水路も結構乾いており、ついでに見てみようと少しスコップを入れると、直ぐに粘土層、、、。
以前杭を打ち込んだ部分も、打った周りは少し土の色が変化しているのがわかるけれど。全然アプローチが足りていなかったようにこれをみて思いました。
水路にも要所にダブルスコップで点穴を空け、グリグリでさらに深いところに炭をいれ、杭をうって枝葉をいれてみました。
水と共に動く空気の流れは、一度ここを通って渦流をつくり下流に行きます。ここから動植物達の力を借りてどう変化してくれるか、観察が楽しみです。
牡蠣の貝殻
カツラと水路の辺りは自分もよく歩くし、人が通りやすいので、よく踏みしめられそうな所には牡蠣の貝殻を縦にハンマーで差し込みました。
なるべく土を直接踏まずに、圧が分散されるように。
そして牡蠣の殻は炭のように多孔質になっており、微生物の住処としてもいい。自分の大好物なので、今年も食べねば、、。
橋二つ目
人が水路を跨いで渡る所に、枝絡みを組んで泥の流亡を防ぎつつ、通気浸透も助けるように作ってみました。
畑
菌ちゃんファームの動画を見て見よう見まねで作ってみた畝。5月に母が張り切って野菜を植えました。
トマト、バジル、ねぎ、パセリ、かぼちゃ、アスパラ、唐辛子、トウモロコシ、メロン、いちご。
自分はスイカが好きなので、ひと苗植えてみました。そしたらなんとけっこういい感じに生育している。
斜面の笹、葛刈り
二段目の段丘の斜面。だいぶ葛も笹も勢いがなくなってきていて、ナイロンカッターの草刈りでも良さそうだけれど、タラの幼木や、桑の幼木、野薔薇やクマイチゴもたくさん生えていて、それらをある程度残しながら刈りたかったので手刈りで丁寧に行っていると、葛の根元がちらほら見えてきます。とても太くて、湿気を保っており、苔が乗っているものも少なくありません。もしかしたら葛というのは水脈の要所に居るのかもしれません。
高木樹種が深く根を張れなくなってしまった、硬くしまった地表を守るように居る。地面がカラカラに乾く前に、しっかりと覆い、湿度の膜を作って守っているように見えます。
形は違えどある種大きな木のような存在かもしれません。だからとても太い葛を切る時に何か感じるものがありお神酒をあげたくなったのかもしれない。
残すものは残しながら、ぼさ置きをして、中高木樹種を植えてみたりして、しっとりと安定するようにしていきたいです。
そうしたら役割を終えた葛や笹達も大人しくなってくれるかも。
祖母が他界しました
6月の末、祖母が亡くなりました。孫の中でもなぜか自分への当たりが強くて、小さい頃はよく泣かされ、悲しい思いをしていたものです。
けれど、成人し自身を癒していく取り組みをしていく中で、祖母に対する自分の捉え方が時を経て変化していきました。戦争前、戦時中、ある種の豊かさから一気に貧しくなり、混沌とした時代の中生まれ育った祖母。悲しい思いや悔しい思いも、大切なことがおざなりにされ、歪んでしまった部分もきっとあったろうけれど、必死に生きてきてくれた。家族を愛おしく思う心は本当に深い人なのだと。
自分がオステオパシーを学ぶことができ、その後も自身の癒しに取り組むことができたのは、紛れもなく、祖母が助けてくれたおかげです。
2019年新しいウィルスの騒ぎが起き、その翌年に脳卒中で倒れた祖母、その後寝たきりになりながらも意識はしっかりと、自身の脚で立ち上がりたい意欲を見せてくれたり、感染症にかかってもなん度も復活するなど、気丈に生きようとする姿を見せてくれていました。
その意味で、家族はゆっくりと心の準備ができたように思います。
実はその前から自分はなぜか度々祖母が亡くなるという夢を見ては、心細いような寂しい気持ちで目が覚めるということがありました。
もしかしたら1番心の準備ができていなかったのは自分だったのかもしれません。
長男でありながら、家を継いで守っていくというような使命感は自分にはなかったのだけれど、それでも晩年の祖母はそんな自分を責めるでもなく、応援してくれていた。
使命感なんてものではないのだろうけれど、多分深いところでかなり気にしているんだなあと最近思います。
祖母が愛おしく、守りたいと思っていたものはなんだったんだろう。
祖父は立派な家を建てたけれど、それではない。
実家の名前を継ぐものが残ることか。大切な事とは思うけれど、それでもないような気がします。
祖母は本当に記憶力が良く、小説のように詳細にわたって、物事を覚えている人でした。
祖母方の先祖に新庄藩の右筆がいたというくらいだから、そのような特質を受け継いでいたのかもしれません。
亡くなる少し前に聞かせてくれたのは、肺病み(結核かな)を治すのに、アカガエルの生肝が効くとのことで取りに行った人の話。興味深いものも多々あったけれど、どの話も誰それさんがどこそこの角をまがってなどと、詳細に入り組んでいて、聞いたものの忘れてしまった。
自分は話の要点を聞きたくて、長いなあと思っていたけれど、祖母は一人ひとりの名前、通りや場所の名前をしっかりと覚え、呼び、その物語を大切にしていたのかもしれない。
祖母のようにはいかないだろうけれど、祖母の孫である事は自分の誇りです。なんだかんだ大好きだったんだと思います。繋がれてきた命、精一杯生きることが供養と信じ、進んでいきます。