土中環境山形造作11・12

ようやく秋の空が見えてきました。いつまで続くのかと思ったこの夏の暑さも過ぎてしまうと懐かしいようです。なんだかんだと遅れてしまったけれど、記録を上げていきます。

7月 草刈り

いつもこの時期の草の勢いには圧倒させられるものがあります。けれど去年、先月と行ったところはやはり草がおとなしくなっていて刈りやすい。昨年大地の再生の矢野さんに習って、蔓性の植物をくるっと巻いて置くのを試してみたものの、葛の勢いはやはり強く、放っておけばまたこれまでのように他の樹木や草を覆い尽くしてしまう。まだまだ表土は硬いし、葛の成長に他の植物達は敵わない。それにもきっと意味があるのだろうけれど、風を通し、木を新たに植える場所をしっかり作るために、心を鬼にして刈る。

昨年葦をたくさん刈った影響か、水の道を変えた影響か。シュレーゲルアオガエルの姿がみられなくなっている。一瞬そうかな?という後姿はあったけれど。

一方でキリギリスやイナゴ、トノサマバッタのような去年は見られなかった昆虫も増えていて、良くも悪くも変化している様子。

やり易くなっているところをある程度刈って、ついに昨年手をつけられなかった一つ目の段丘、ヤマボウシの側にある水路上部の笹が繁茂しているところを刈りだします。

20年以上放置されている笹は太くて長くて地面を這っていて硬い!草刈機を新調して、ちょっとパワフルなタイプにしてほんとうによかった。

それでも葛が覆っているのもあり、斜面で結構時間がかかりました。

とても全部は刈りきれないので、風の通りを意識して少しずつ。

ヘドロ上げ

雨の日は楽しみにしていたヘドロ上げ。5月もやっているし、楽なはず!と思いきや、それなりに泥がたまっていて。けれどミゾソバなどの草が細かい根を張って泥を捕まえてくれていた部分もあり、そんなところは楽だしホッとしました。大地の再生での、動植物達との結、共同作業であるという言葉が思い出されます。

昨年掘っている時は気が付かなかった部分、盛り上がっているけどもう少し掘れるなとスコップを入れると、臭い灰色で粘りつく粘土質が、、、スコップに付いて取れないし重いしでなかなか大変だったけれど、なんとか水量の少なくなった滝のところまで上げていきました。

昨年よりだいぶ水量が減って見えたけれど、確実に水脈とつながっていたであろう部分なので、杭を打って柵を作ったり点穴を開けたり泥さらい、引き続きやっていきます。

倒木

段丘上部、山が近くなってきて木陰が増えてくると葛はだいぶいなくなり、昨年刈った後に生えてきた比較的柔らかく細い笹が目立ちます。刈り進めていくと、倒木が行先を塞いでいました。なかなか大きな杉の木が2本。今年の雪は水を含んで重かったので、倒木が多いようです。根がしっかりと張ってびくともしないような森になって欲しい。

どう倒れてくるかなど考えながら、切った枝端を片付けながら、時間をかけて少しづつ、チェンソーで切ってみました。切った丸太は後で階段などに使えそう。昔の人はこれを斧とノコギリでやっていたのかと考えるとほんとうに頭が下がるし、森の環境を蘇らせたい、風と水の巡りを健康にしたい気持ちが強くなります。

イベント

姉に教えてもらって、鮭川村で開催されたイベントに興味がわいたので行ってきました。

無農薬で栽培された米や野菜がたくさん出品されているとのことで、どんな人達がいるんだろうと。

行ってびっくり。一瞬過疎地域の田舎であることを忘れるくらい、お祭りのような雰囲気と人集り、雨なのに大変賑わっていました。

ちょうど自宅で使うコーヒーカップが欲しかったので、鮭川村の土で神室釜で作られたという綺麗な深緑色のカップを購入。可愛い。カムロ窯

8月

また草がもりもり生えてる。7月に刈られた葛が反発するように頑張って地表を低く覆っていました。

入り口部分の木が枯れる。

水路を誘導したり、7月に入り口部分右側に溝を掘ったりした効果があったようで、昨年は水がU字溝を超えて流れて湿っていたところがカラカラに乾いて来ており、人や車が通りやすい状態に変わってきています。

そのためか、それまで入り口左側に生えていた小さい木が枯れていました。

地下の水の流れも変化したことによる根への影響だと思います。この部分もある程度めどが着いて、炭の準備もできたら、コルゲート管を入れて水脈整備をしていきます。枯れた木には炭になってもらおう。

ひたすら草を刈る。

今年は暑さが半端ではなく、自分の体調のことも考えて、早朝に起きて昼前には作業を切り上げるようにしました。

すっかり花が落ちて実をつけたオオウバユリ

オオハンゴンソウと環境

オオハンゴンソウが所々に咲いていました。北アメリカのフラワーエッセンスにも近縁種があるけれど、日本においては特定外来生物。

水路や池にいるアメリカザリガニなんかもそうだけれど、人が考えなしに行ったことによって、それまで調和がとれていた循環が撹乱され、時に取り返しのつかないところまで行ってしまう。今まで生きられていた種が生きづらくなっていったり、置き換わり、絶えてしまう。

景観十年、風景百年、風土千年かけて変わっていく。1,000年後どうなっているでしょう。

日本固有の生き物は見た目も穏やかで繊細なものが多いように思います。力が強かったり派手な外の生き物には弱い。

これはどこか近年国策で日本に住む外国人が増えていることにも通じていることなのかも。

適度なストレスや撹乱はあったほうが良い変化を生むこともあるかもしれないけれど。

表面に見える浅はかな利害で、簡単に動かしてはいけないものがあるのではないでしょうか。

一方で、大きな目線でみると、どんな理由にせよ、その生命がそこにいるのには意味がある。それがたとえ危険と言われるものでも。そんな考え方があります。

そう考えると、広い意味合いだと、今のままでは危ういと、教えてくれている。その斥候のような、そんな存在達なのかなあとぼんやり思いました。

話は変わるようで自分の中では繋がっているのですが。住宅地も街も近年ではどこも似たような自然環境から切り離すような作りが主流になっていること。話す言葉も若い世代ではYouTubeやSNSなどで流行るようなものが使われ、その人、その家、その土地固有の味わい、それらしさのようなものは知らず知らずに失われてきている。幸せのかたちも同様に画一化され、デジタルの中へと置き換わっていってしまうんじゃ。

なんて思いながら電車の窓から外の景色を見ていると、自分が若い頃から比べてまた一段と荒れているように感じます。線路脇に緑はあるのだけれど、葛などのツル性の植物が繁茂して他の植物を圧倒していて、森の入り口は鬱蒼としている。以前はきっと今のお爺さん達のちょっと上の世代の人たちが山に入り、お金をもらわずとも手入れをしていたのかもしれません。

里と山の境界線が荒れ、人を拒むように葛と野薔薇が繁茂し、人もまた、安全に整備された公園やキャンプ場の他は親しむ場所が失われ、自然は自身とどこか遠い場所になってしまっている。手入れをすることもないから実体験としての危険や失敗や学びもなければ、自身のいる土地や流域への愛着も湧きようがない。

今回繁茂している葛の花からお茶を作ってみようかなと摘んでいる時

「これが現実なのだ 受け止めて、一歩一歩進むしかない」そのような声が聞こえた気がしました。

願わくば、本来日本にある豊かな自然が取り戻され、人と自然が再び繋がり、以前より賢くなり、自然と人との共同作業で森が作られ、多様な生き物がいる事が許されるような力強い土地になりますように。

大地の再生の矢野智徳さんは、スコップ一つからできる環境再生を説いておられます。

特別なこととせず、日本中で環境再生流行ればいいのにな。趣味のひとつの様に。それがひいては、人の心身の健康に繋がっていくのだと自分は真面目に考えているのですけど、変ですかねえ。

というわけで、オオハンゴンソウに関しては、入ってきちゃったものはしょうがないと言う事で、自分の感覚でバランスを見ながら刈ったり抜いたりそのままにしたりしてみようかと思います。

興味のある人はフラワーエッセンスのブラックアイドスーザン(オオハンゴンソウの近縁種 ルドベキア属)の定義を読んでみるとさらに考えるきっかけをもらえるかも。

心理療法などでいう「影」との取り組みにおいて重要になってくるエッセンスだと思います。

自身の影に光が当たることで初めて人は、影の存在に気がつける。外にある敵や味方と関わるよりも、自分自身の中にある、混乱や苦痛、トラウマ、やりきれない思いに気がつき、癒していく取り組みは、今の息苦しい社会が実り豊かな変革を遂げ、新しい時代を迎えるためにも、多くの人に必要とされているのではないでしょうか。

鹿に見られる

草刈りしてたら何やら視線を感じて目をあげると、鹿に見られてました。

斜面は刈らずに人が通るところだけと、風通しを考えて草を刈っていて、昨月刈って歩きやすくなっているところに。上の雑木林から来てくれたのかな、若そうに見える鹿。好奇心旺盛なカモシカの子供かな。雑木林も笹藪になっていて歩きにくいだろうに。

心の中で、見に来てくれてありがとう。雑木林の方も歩きやすく気持ち良くするからねと約束。

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