土中環境 山形 升形造作6・7

10月の様子

10月、11月まとめての投稿になります。日が短くなってきたり、施術をさせていただく機会が多かったからか、なんだかあっというまでした。

楽しみにしていた入り口部分の水の流れは、完全ではないものの。3分の1くらいの感じまで無くなっていてひと安心。

暗渠予定だった左側に掘った部分は水がどんどん流れていて綺麗。このままU字溝に流すのが勿体無い気がしてきて、池のほうに誘導してみるか、小川として残すかちょっと考えたかったのでしばらく保留に。

入り口右側部分境界線の草刈り

入り口右側部分から笹や山桑の藪を刈っていきました。

手刈りで行ける部分は手刈り、硬い笹が多く生えているところはチップソーの草刈機も使いながら。

刈っていって見通しが良くなると、そこ此処にゴミが見えてくる、プラスティックゴミのようなものから洗濯機とか大きなものまで、不法投棄かな。長らくあった様子。こちらの土地と他の方の土地の境界線あたりに。人の心とともに土地が荒れていった事を教えてくれています。残念だけれど、逆もまた然りとなるよう頑張りたいですね。

笹藪を草刈機で刈った後です。ビフォア画像撮るの忘れてしまいました。

林道?

さらに進むと奥の方が見えてきて、広場的なところから林道のようなものが付けられているのが見える。

どんどん進んでみると丘の上の平らな部分に行き着く。まめにではなくとも下草刈りされているのがわかる。ある程度から先は境界線をしっかり意識されたような形で笹が繁茂している。

撮影したけれど、手ブレがすごすぎてみれたものではなかったので、次の機会に。

戻って近所の人に聞いてみると、5月に水路を掘っていた時に話しかけてくれた方の土地とのことでした。もしこの道を使わせてもらえたら、土地の上の方を手がけるのに助かるかも。

実は自分の中では誰の土地、彼の土地という観念は薄くて、それはそれで境界線が薄くなりがちで、良くない面もあるのだろうけれど。それでも、その地に関わりのある人たちが協力しあって全体として良い空間が出来上がることが理想的だなあと思います。

杉の間に

林道側の杉の近くにはキノコや紅葉、イチョウの幼木がいて、気持ちが良くなりました。荒れの強い部分に戻るのが嫌になってしまうような気持ちだけれど、近くにこうして充電できるような場所があるのは嬉しいですね。

蛇の赤ちゃんがいます。見つけられるかな?

カツラの苗

やることの見立てが甘く、早まってカツラの苗を注文してしまいました。とりあえず水が近くにある出来立ての小川の横に植えたカツラは紅葉が始まっています。無事に冬を越せますうように。。

支柱を立てた方が良いだろうか。

蔦はがし

甥っ子と栗の木に絡まった大きな蔦を切って剥がし。土地と林の境界にある木にはもれなく蔦が絡まっている状態です。なかには腕ほど太いものもあり、切るのにちょっと気合がいるような感じ。思春期突入したての甥っ子が手伝ってくれ、蔦を一緒にひっぱって尻餅をついて笑い合ったり、楽しかったな。

真室川の空き家

11月。姉の友達が旧家を手放すとのことで、もしかしたら使い道があるかなと、行って来ました。一枚板の立派な引き戸や、今建てられているような家では使えないような太くて立派な柱や梁でできた二階建て、トイレは水洗のウォシュレット。8部屋ほどある大きなお家でした。立派な蔵はもう作れる職人さんが居ないとのこと。

庭に樹齢100年は肥えている伽羅の木をメインに鳥海山から大金をかけて持ってきたという大岩が二つ。気持ちよさそうに苔がのっている。

素晴らしいお家だったけれど、距離があったのと、大事に手入れされてきた庭や蔵。お家を大事にできるような人が大人数で賑やかに住んでこそ光る場所かなと思いました。

信じられないくらい安いお値段でした。山形の雪深い田舎町、真室川で暮らしてみたい人達がいたらぜひ。

11月の計画 草刈機故障

今回は升形の土地の山の方へ向かう斜面部分をしっかりと草刈りして、できたら葛や藤などの蔦をまとめて穴を掘った土や、木を植えるところに生かすようなことをしていきたいと考えていました。

頭で思い浮かべる想像ではさっと仕上げているのだけれど、実際にその場所に立つとその広さに途方もない気持ちになります。

何年もかけて育ってきた笹や葛は強くて、チップソーの草刈機で先ずはしっかり刈り込もうと。叔父に借りた草刈機に混合油を入れてエンジンをかけるも、エンジンは回転しているのに刃が全く動かない。おじさんに電話をしてみると忙しいらしく対応できない。

母の草刈機は修理に出している。

畑づくり

もう仕方がないので、草刈りを終えてから行おうと考えていた、母が強く希望している畑作りを始めました。

NPO大地といのちの会の吉田俊道さんが提唱されている豊かな森の中に見られる糸状菌と窒素固定菌の働きを人工的に作り出すようなやり方に倣って、YouTubeの動画をみて真似させていただきました。

鍬を入れて耕す。そこらじゅうに葛の太い根が張り巡らされていて、耕すのも一苦労。すぐに根に当たる。根を切りながら、取り除きながら耕して、畝を作る。畝の周りは少し掘って山と谷を作る感じ。水がはけていく通り道をつける。

こんもりした畝に糸状菌の餌となる木片や枯れ草などの有機物を敷いていく、さらに隙間を埋めるように籾殻をかぶせ、その上に湿り気が逃げないように土を薄く覆い被せます。

そんなことをしていると、足元にサンショウウオの幼体?朝早いから固まってて動けないでいる様子。傷つけずに済んでよかったあ。土の中で冬眠準備だったのかもしれないけれど、その日は日中暖かかくなる予報だったので水辺のそばにまた自分で潜れるようにそっと置いておきました。

このサンショウウオは無事だったけれど、年齢のいった葛や藤。笹。葦をたくさん切られたことによって棲家を追われたシュレーゲルアオガエル。そこで生活していた様々な生き物達が見慣れぬ人間の出現で大きく変化を迫られ、刈られ、誰かは助かり、誰かは命を落とす。

この数ヶ月、めっちゃ蚊にさされたり、細かい怪我などあったけれど、見える、見えない、きっとたくさんの生き物に物理的にも目に映らない世界的にもアクション起こされてるだろうなあと。

とはいえ枝同士が絡まって、風も水も通りが悪くなっている。みんなが喧嘩しているような苦しそうな樹形、枝の出し方で、気持ちの悪い感じがしている。

なんだか今のこの国の様相と相似しているのかもしれないなあと思いました。様々なものが限られた少ない資源の中で奪い合い、その流れがさらに土壌を、生活を貧しくしていく。もうどうしようもないところまで来ていて、変わるには今までの良いところは残しつつ、気脈水脈がまた心地よく通るように、大部分が変化して、形を変えたり、適切な居場所に自然な数の生き物が生息できるような形に、これから変わっていくか、いかないか、その最中なのかもしれません。

そんなことを考えながら、畑を作ったり、葛の蔦や笹藪と格闘しておりました。

籾殻はまだ乾燥が強くてしっかりとしていたので、この冬場に雪で寝かせて、くたっとした頃、来春にマルチをかけようと思います。母のための畑の準備だったけれど、樹木を植える場作りとしてもこのやり方は使えそうなので、やってみてよかったです。

草刈機 また壊れる

草刈機は母が修理に出していたものが直って帰ってきて。葛やススキが生えているところを少し広範囲に刈ることができました。けれども年季の入っている草刈機はまた動かなくなってしまいます。あとでyoutubeで草刈機の使い方を見ていたら注意事項として燃料を使い切らないこととあったので、混合油を使い切ってからエンジンが極端にかかりづらい原因が一つわかりました。

20年越えの笹藪はなかなかに強くて硬くて、草刈機でやりたかったけれど、手刈りにチェンジ。鎌と剪定鋏で笹をパチンパチン、果てしないやり方だけど、やはり手刈りだと丁寧に落ち着いてみることができます。紅葉や楓の幼木を見逃さずに避けて刈ることができ、正解でした。機械で楽をしようとした自分に喝な出来事です。草刈機に負担をかける使い方をしてしまっただけではなく、他にも何か働きかけがあったのかもなあ。。

成熟し、ある程度手入れされている杉林が隣にあり、そこはほとんど笹が生えておらず、気持ち良い雰囲気を出していて、喧嘩しているように見える荒れた空間との違いが分かりやすくて面白い。手前は栗の木から剥がした藤の蔦、もはや大蛇。こんな太い蔦も何かしらの材に変えてくれるような職人さんがいたら、大蛇もうかばれるのだろうけど。

大きな木が点々と育つようになったら、きっと気持ちの良さが荒れた土地にも蘇るはず。

アナスタシア

NPO法人大地といのちの会の吉田さんもお薦めされていたアナスタシア、最近縁があって違う方にも勧められたので読んでみたところ1巻にシベリアの杉の話があり、杉の癒しの力、宇宙規模の役割のような事まで書かれてありました。実際に杉の木に囲まれた空間に身を置いた時に感じる感覚を思い出すと、納得できるような気がしてきます。

今の自分に、時代にドンピシャという感じです。覚者、悟りを開いた者というような凄い能力を発揮しているのだけれど、どこか天然っぽい彼女と凸凹コンビのようなウラジーミル・メグレさんとの掛け合いに目が離せません。9巻まで出ているとのことなので、追って読んでいきたい本になりました。

平らな山

小さくて平らな山の上の方にまた登ってみると、果てしなく続く雑木林が出てきます。こんなに平らなのは元々なのか、人工的なものなのか。20年弱前に皆伐が入ってからずっと放置されているそうで、笹藪の中懸命に育った広葉樹が列ぶ姿をみて、雨が降っていたけれど嬉しい気持ちになりました。

笹藪がおとなしくなって、もっと気持ち良い森に育ってくれたらいいなあ。

これからどうしていきたいか

一人で草だらけの中、穴を掘ったり溝を掘ったり、水路の泥を上げている人を見て、優しく声がけしてくれ野菜をくれたりする奇特な方がいてくれるけれど、ほとんどの人は何が目的なんだろう?という感じで見られているのではないかなと思います。

最初手がける予定だった土地は難しくなり、升形はすでに電波塔があったり、鉄塔やその送電線が通ることが決定している土地。なのであえて目的は決めず環境改善のため、自分自身の学びのため、それが子供たちの遊び場や母の畑ができたりしたらいいかなという漠然とした感じで行っています。高圧線が通ると聞くと何かを計画しようにも足踏みしてしまう。

けれど実際に半年近く通い続け、土地の変化を見せてもらって。土に触れ、風や水の動きを感じると元気が出てくるという体験を何度も重ねていくにつれ、土地への愛着が育ってきているような気もします。

とりあえず今時点こんな風になったらいいなという理想像を描いておいたって良いかもしれない。

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