土中環境山形造作17・18

3月の半ば。今年は異例の雪の少なさであったけれど、なぜかこの時期に少し積もるくらいに降りました。

そのおかげでぽつんと雪解けしている面白い場所を発見、4月のびっくりに続きます。

昨年の末に植えたヤマハンノキやケヤキ、クロモジ、栗や柿も無事。

一段上がったところにある水の湧き出しは、湧いてはいたけれど、泥詰まりしている様子でした。

石組みを作ったりして工夫してみたい。

この時期からノスリが来ているのかピイ〜と鳴き声が聞こえます。動物たちが植えた幼木を見に来ているのか、木のところへ続く足跡がある。たぬきかな、木の成長を楽しみにしてくれていたら嬉しい。

雪解け

すぐに暖かくなり、一時的に積もった雪もほとんど解けてしまった。

昨年末に植えた小さな青森ヒバの苗木が無事!

いきなり怪我

グラグラしている木があって、弱っているし、ここがなくなったら風が通って良さそうだなと安易な気持ちで腕くらいある太めの木を切って枝を落としていると、ノコギリの刃が勢いづいて、左親指に鋭い痛みが走る。そんなに大したことはないでしょう、けど一応、、と手袋をとってみると、左親指の爪の上半分右側がごそっと持っていかれている、、、出血、、、困った。幸いバッグに絆創膏を入れていたので応急処置をして血が止まってくれたので作業開始。親指の腹側だと仕事に影響するし、1週間後には痛みが引く可能性がある初っ端の怪我で本当に良かった。名もわからない木をその時の思いつきで切った気持ちのゆとりのなさからかも。慌てないでいかないとなあ。

笹刈

二段登ったところ、防空壕付近より上の斜面の笹に手をつけることにした。ここの笹も20年ものなので地を這う茎も根も立ち上がった茎も強い!立派な栗の木が太い蔦に絡まれている様子も見えてきて。その栗の木は遠くから見たら枯れているようにも見えたけれど、元気な枝もあって、もしかしたらまだ間にあうかもしれないと、太い蔦は切らせてもらいました。

あとはひたすらに鎌で手刈り、落葉広葉樹樹の赤ちゃんがちらほら生えているので草刈機は入れずに。

赤ちゃん

花粉症

20代の頃、杉は目の痒みとくしゃみの連発、桜の満開を合図におそらく檜の花粉も始まって、マスクをしないで外で深呼吸した日には、その晩気管が狭まってヒューヒュー音がしてしまうくらいのひどい花粉症で、ひまし油湿布や食事、サプリメントなど様々な体質改善を試して、ここ数年はそんなに強く症状が出ていなかった花粉症。

最近では症状が出るかなという時に市販のアレルギー薬を摂るくらいでお落ち着いていたので油断。

杉の真下で笹を刈っていたのにノーマスクで作業。鼻から血の塊が出てくるくらい炎症しちゃいました。二日目からはしっかりマスクをしたけれど、グズグズ状態が続いてしまいました。

作業をしたり怪我をしているからかもしれないけれど、免疫系が一杯一杯な感じです。

日本熊森協会

一昨年の秋田の由利本荘、ぽろたん栗の木林の矢野智徳さんの勉強イベントで仲良くなった井阪智さんからお誘いをいただいて、日本熊森教会が主催の「人とクマが棲み分けるための森づくり」が題材の清和研二先生の講話を聞いてきました。

井阪さんは日本熊森協会の秋田支部長になったそう。少し前にクマを指定管理鳥獣にせず、人とクマが遭遇しない対策など、根本的な原因解決のための対策と予算を求める署名を求められ、微力ながら拡散のお手伝いをさせてもらいました。

個人のSNSで拡散のお願いをさせていただいたところ、狩猟関係と見られる方から、熊森教会はしっかりとした根拠を述べることのできない信用のならない団体であり、そのような団体の声を広げる行為はかえって国が進める個体数の調査と、生息数の確保を行う動きの足止めとなるのでやめていただきたいのという旨の指摘が入りました。

その方はいかに熊森教会が信用できない団体であるのか、環境省と秋田県の、指定管理鳥獣に関する動きを邪魔することは、森林の環境保全、熊の保護に繋がらないと、熊森教会を攻撃する形で、威圧と蔑みを感じるほどの文面でした。やんわりとやりとりを閉じようとしても、何度も同様な文体での通知は止みません。それだけ熱い方なのかもしれないと、井阪さんの方はどんな方とも対話にオープンな姿勢のようでしたので、一般人の自分とのやりとりではなく、山や森、クマに詳しい双方の意見、話し合いがどのようになされるのか興味深かったので対話をお勧めしたところ。井阪さんは快く承諾してくれました。一方で狩猟関係の方は冷笑するような形で、対話は拒否され、通知は途切れました。それも一つの答えなのだろうと個人的に納得しました。

指定管理鳥獣の捕殺には補助金がつく。人は無意識に自分の身を守ろうと、所属しているコミュニティを守ろうとするのだろうと思います。狩猟関係の方の思いの優先事項がお金や自身、所属している団体を守ることよりも、本当に森、山に住む生き物が、ひいては全ての生き物が良い方に向かうことが上にあるのであれば、おそらく話し合いに応じられたのではないかと思います。

その方にとっては熊森教会の人と対面することは、自身でも見えていない影と対峙することであるのかもしれません。

自分の想像に過ぎないけれども、世界中にこのような私たち人類の心理的な未成熟さ故の悲しい顛末がたくさんあるのだろうなと思いました。

秋田では長年ツキノワグマに関して観察や調査検討をしてきたようですが、昨年はクマによる人身被害が例年の3〜4倍と跳ね上がり、TVのニュース等で目立っていてけれど、秋田県は捕殺に躊躇することはなく、推定生息数の50%以上が殺されたそうです。そこに際して環境省の指定管理鳥獣にクマを入れる計画は追い風となり、悲しいという言葉だけでは済まない、環境全体でみると取り返しのつかない事態を招く可能性があるのではないでしょうか。

以前読んだ「植物と叡智の守り人」「苔の自然誌」を著された、ロビン・ウォール・キマラーさんの家系がアメリカ先住のポタワトミ族、ベア・クラン(氏族)出身なのだそうです。

著書より

クマは人々のために秘密の知識を守り、植物とは特別な関係にある。木や草を名前で呼び、その物語を知っているのはクマなのだ。私たちはクマからビジョンを得、自分がなすべき使命を学ぼうとする。

という一文がありました。

管理、コントロールすべき物という視点から行われる行為

畏れる心をもって、対等、それ以上の学び、恵みをもたらす敬える存在という視点から行われる行為

両者の土台が違い過ぎる。

今の自然に対する我々人間の有り様をみていると、前者に強く傾いてきたのは一目瞭然だけれど、まだまだ変化する兆しはほとんど見えない。それどころか自然と向き合い共に生きようとする人達の声はなぜか少なく小さく聞こえるのと裏腹に、そうでない人達の声は大きく、その他大勢の人に与える影響力も大きいようです。

清和研二先生

清和先生の本は以前から図書館で借りて読んでいて、とても繊細で忠実なタッチの絵と、木の立場になって書かれているような文体。木と、そして協力しあった学生さんの一人一人の名前、物語を大切にされている様相が大好きで、手元に本を置いておきたくて購入していました。「樹に聴く」「樹は語る」「スギと広葉樹の混交林 蘇る生態系サービス」本にサインを頼んだら快く書いてくださって感謝。

繊細な感性をもちつつも、現実的な研究者の側面もある幅広い方。それだけにご自身で感じる今の自然の異変、違和感をどう数値化し、現実社会に影響を与えられるかという表舞台に立ち時代柄も大変苦心されてきたのだろうなあと思いました。

この会のお話では、日本において、人間の手で戦前戦後に奥山の栗をはじめ動物達に食べ物を供給する様々な広葉樹の大径木が切り出され、ほとんど全てなくなってしまったこと。その後1950年頃から国をあげて杉や檜を植え、今の人工林の形ができたツケが今きている。

山の食べ物は乏しくなり、生きられる動植物も少なくなり、多様性は失われ続け、土中の成分も変わっている。

7割近い強い間伐をすることで針葉広葉の混合林が育ち、環境の強さの回復を促す事ができるのはわかってきたけれど、現在日本で全体的に推し進められているのは3割の弱い間伐や、皆伐。

という事を教えていただき。

栗はブナなどのドングリに比べて豊作凶作の波が小さい。だからクマや森の生き物が安定して食料を得るには人里と山林の境界、あるいは山の中に栗の木を植えたらよい。

けれどその担い手は、誰が?という問題提起と共に講話は終わりました。

たまたま会場で一昨年のぽろたんのイベントの昼休憩に隣り合って会話した女性がおられたので、その後の栗林がどのようになったのかお伺いしたところ、少し収穫できるくらい採れたのだけれど、やはり熊の問題もあり、人の手入れも難しく、元の藪に戻ってしまったとのことでした。

この2年、自身が手入れしている土地と関わってきて、愛着のようなものが湧いてくる実感を通して、人との関係性と同じように、その土地と、そこに住む生き物たちと何度も会って、行為を通して、時に訪れるだけでも何かしら影響を与え、また何かを受けとり、その繰り返しが大きな変化を産むのかもしれない、そう思うようになってきています。

自分の周りにも自然が好きと言っている人達はたくさんいるけれど、虫が嫌い、カエルが怖いなどの理由で好んで藪の中に入っていく人などいません。

何故か自分は許された環境で藪の中に入り手入れさせてもらえることが、どこかホッとするし、人が入ることで撹乱もされるけれど、甥っ子たちが遊びに来るようになったりしていて、そんな地味で小さなことの積み重ねが何か変化を起こすきっかけになるかもしれない。環境保全したいとか、大それた使命感があるわけではないのですが、何故か、今の自分が在るのは、今手入れしている土地、両親も含め良くも悪くもそこに関わってきた人達、たくさんの生き物たちの頑張りのおかげさまという思いがあり。気持ち良い空間を取り戻せたら、手助けできたら、そんな気持ちでいられていることがありがたいなあと思っています。

秋田からの帰り道、白鳥達が田んぼで憩っている様子を見る事ができました。

なんでも渡り鳥はなんとなくの体内磁石で渡っているのではなくルートが細かく決まっていて、人工的な構造物が突然できたり、羽を休めていた大木が急に切られなくなったり、開発により地形が変化したりする事で立ち寄らなくなってしまうそう。

それがどのような影響を及ぼしていくのか、誰にも答えは見えない。私たちはまだまだ学ばなければいけない事がたくさんです。

ハナちゃん

ハナちゃんに追いかけ回される

怪我をした左親指の爪部分が化膿し始め、なかなかの香りを放っておりました。

ハナちゃん(実家に住んでる犬)にはたまらない匂いだったようで、顔つきが豹変し(豚足を食べている時の顔だそう)後をつけまわされます。ハナちゃんも食べてはいけないとわかっているようだけれど、凄く食べたそう。噛まれるんじゃないかとひやひやしながら、残りの日々はひたすらに笹を刈っていました。

宇都宮に戻る時にはだいぶ匂いも痛みも少なくなって、ハナちゃんは残念そう。

笹がだいぶはけて風が抜けるようになりました。

4月

3月は少し雪がつもったものの、雪解け水の勢いは弱めかもしれません。昨年の5月の方がまだ勢いがあったかも。昨年夏の猛暑と雨の少なさ、冬の雪の少なさの影響が肌身に感じられます。

水脈発見

3月に見つけていた雪がポツンと解けていた場所で耳をそばだててみると、水の音が聴こえてきました。よく見ると苔が生えています。少し掘ってみたところ、ちょっと水が湧いている!

量はそんなにないけれど、きっと水脈の主要な所の一つ。杭を打ち込んで手で運べるくらいの大きめの石をどすんと置いてみました。どんな風に変化していくか楽しみ。。

キブシは花真っ盛り。

水仙が咲きそう。

土地の入り口の桑の木の下に、昨年は見つけなかったエンゴサク。母が見つけてくれました。

水路の形が変わる

水が少ない割にU字溝に注ぐところの水路幅がだいぶ増してる。自分が堆積物を取り除いたから集中してしまった、、。今考えるとちょっと乱暴だったように思います。動植物達は少しずつ泥がながれださないように流れを緩やかにしてくれてる。これからは緩やかに、できるだけ澄んだ水が動く様に手助けできたらいいな。

果樹を植える

母のリクエストもあり

道路側の高台、ススキの株立がたくさんあるところに果樹をたくさん植えることに。

本当ならトラクターを使って根を掘り上げて天地返ししたほうがよいらしいけど、トラクターもって無いし、藤の根が蔓延ってて小さい機械なら壊れちゃうだろうし。

植えたところから少しずつ変化したらいいな作戦でいくことに。

スモモ2本

杏1本

ザクロ3本

ラフランス1本

イチジク1本

ポポー1本

昨年末に植えた栗2本

カキ2本と合わせて13本、うまく土地にあって育ってくれますように。

井戸を埋めた跡あたりから水が出ており、仮に本当に井戸跡だったとしたら、ご神事的な意味合いだと思うのですが、梅を植えると良いと教えていただいたので、水の出ているところの北側に、植えようとスコップを入れてみると結構浅いところから粘土層に、これじゃあ植えてもすぐに枯れてしまうと思ったので、土を積み上げて炭と枝葉をサンドイッチにしてマウンドをつくり、周囲に点穴を空けて、それでもかなり深いところまで粘土層のようだったので、点穴のなかにさらにグリグリ(でっかいマイナスドライバー)で穴を開けて炭を入れて、枝葉を入れて、少しでもこの場所を起点に変わったらいいなあとやってみました。

梅は丈夫で剪定にも強いようで、元気に育ってくれたら、たくさん出してくれた枝葉がさらに土地の改善に役立ちそう。

土地東側の水路はわりと深くて幅もあるので、脚の悪い母には渡る事ができなかったので、橋作り。もともと昔の人が置いたのであろう朽ちかけた丸太がわたされていたので、そこをバージョンアップ。

丸太を増やして、手すりもプラス。ちょっとした階段も

杭も打ち込んでいるので深い部分への通気浸透効果も。

階段

なだらかな斜面だけれど、湿っていて滑りやすいし、何度も足でふんでいたらそのうち固くしまってしまうだろうから、ここも階段作り。水が湧き出していたところの近くで、置いた石が見えています。

なんだか気持ちが焦っていたのか、探せばいくらでもある杭をホームセンターで購入している自分がいました。この辺ではあまり生えない竹の杭。

作業は捗るけれど、繊細さを欠いていたように思います。途中で鍬を入れた時に山椒魚をあやめてしまったかもしれない。

矢野智徳さんが仰っていた「慌てず焦らずゆっくり急げ」という言葉を思い出しました。

上の急な階段は手すりをつけてから使ってねと母に伝えて、返事聞いたのも束の間、目を上げると階段を利用してはるか遠くに。びっくりした。

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