エネルギー療法との関わり方
2018年に美洸のブログに書かれたものに少し書き加えて移しました。
僕はアンドルーワイル博士の本からオステオパスであるロバートフルフォード氏のことを知り、オステオパシーに興味をもちました。触れて、体感して、生命が蘇る、という感覚を自分も感じてみたい。自分の感覚として癒えるということ知りたかったように思います。
日本のオステオパシー学校で学ばせていただいた印象として、先生方は実際に効果が上がることと、解剖生理学の深い理解をなによりも大切にされているようでした。自身がどこに、どのようなアプローチをしているのか明晰であるということ。
それは地に足が付いており、しっかりと現実に形をつくろうという、科学的な姿勢を表します。
オステオパシーの施術をこれまでしてきてよかったのは、長年かけてですが、体のつながりを自分の感覚を通して理解することができるようになってきたこと。依頼者の体に何がひつようとされているのか、なんとなくわかることもあるようになりました。解剖生理をある程度理解しているからこそ、感覚だけで終わらずそれが統合された形で、理解できるのだと思います。
本来はそれを生かして、医師や他の療法家と専門的な話ができるし、それは依頼される方にとって効率がよく着実な肉体の回復をサポートすることにつながりますが、そのような土壌が日本につくられるのはまだ先のようで、オステオパスや他の優れた手技療法の施術者が一人で頑張っておられることが多いようです。
話がとびましたが、肉体的な健康を土台として、本質的な癒しは、その先へつながります。
インターンを経て、オステオパシーを用いた仕事を始めるようになってからも、未熟さからか、自分の本当にしたかったことはなんだったのか、疑問に思い、一度オステオパシーをやめてしまおうとまで考えたことがありました。実際ひとときやめました。
そんなさなかオステオパシー学校の心理学の講座で、寄り道した話の流れで、「光の手」や「癒しの光」を著したバーバラ・アン・ブレナン氏(元NASAの気象物理学者)の話にわたり、エネルギーの視点から人をみる観点があることをちらっと聞いてずっと気になっていたことを思い出し、書籍をよんでいきました。
癒しは、痛みがなくなればいい、肉体だけ治ればいいということではなく、エネルギーとしての体、感情、精神、その人そのものの癒し、成長につながっていく、ということを、物理学者らしく詳細で具体的な内容で書かれてあるものです。
自分がもとめていたものはこれかもしれない!というピンと来た感覚がありました。
ブレナン博士はNASA退職後、学校を立ち上げ、エネルギー療法の教育活動をしておられました。その教育機関を卒業された方が日本におられるようであったので、実際に施術を受けに何度かいってみたところ、やはり良い手ごたえを感じました。
平行して節目節目で読み返しながら、「癒しの光」の翻訳者、王 由衣(おう ゆい)氏の方に、興味がわいてきました。
特に専門的な内容の英文を訳した書籍というのは、翻訳者があまり理解できておらず直訳したのだろうなと思わされる文によく出くわすのですが、それがないばかりか、するするとわかりやすく自分のなかに入ってくる、何度も噛み砕かれ、自身の中に落としたものをわかりやすく翻訳しておられるのが伝わってくる。
ネットでしらべてみると、独自の教育の場を提供されているようでした。School of Healing Arts and Sciences
サイトの雰囲気、構成、文章からも感じるものがあり、とても興味があったのですが、いつか自分自身に準備ができたら・・と思いながら早10数年。
昨年ようやく思い立って、王氏の教育のいくつかを終え、インターンにさしかかっている方の施術を数カ月にわたり何度か受けにいき、よい体感を受け、より興味がわいてきて、Webクラスなどを受け続けていきました。
昨年飛騨高山の研修にいったのは実はその、対面クラスに参加したものです。
10数年の間にはスピリチュアルブームのようなものがあり、TV番組でとりあつかわれたり、自分のまわりでも、引き寄せ願望実現関連や、○○ヒーリングなどをしている人が増えていました。すごいなと思う人もいたし、善人で良い人たちなのだろうけど、なんだか腑に落ちなかったり、合わなかったり。残念な思いをしたこともありました。
なので、期待半分ドキドキだったのですが。
まず最初に気がついたのは、クラスの会場にいる人たちと、会場の空気のよさでした。
そして徐々に来てよかった、間違ってはいなかったとわかりました。
そして、その中心に立つ人物(web講座は声だけであったのでお会いするのは初めて)は人、歴史、自然、社会を大変長く深く学ばれている、エネルギー的なアプローチで癒しを助けるという目に見えない領域を専門にしながらも、しっかりと地に足がついている、人としての厚みのようなものを感じさせる方でした。
実際のクラスでは、僕がそれまで施術を通して漠然と感じていたものが、エネルギーの領域から見た方がわかりやすく落ちてくる。そのことが感覚を通して理解できたことが、なによりの収穫でした。世界がよりひらけ、高さと深みがみえてくる、もっと探求したくなる、僕にとっては突破口になりました。知識だけではなく誰かと共有して感じることができるありがたさ、クラスのメンバー、しっかりとした場の力があってこそのことかと思います。
まだまだ入口にさしかかったばかりだけども、学びつづけていけたらありがたいなあと思っています。
ヒーラー、という言葉は、日本においては信用のなさが増してきているように感じていて、あまり積極的につかいたくない自分がいます。気で人を治すとか、人生を好転させるとか、奇跡が起きるとか、すごいものが見えるとか、とんでもないひとは時にとんでもない効果をひきあいにだして人を惹きつけることがあるけれども、それは本質からずれているのではないかなと。
どのような療法であったとしても、ひとの心身があたりまえに癒え、健康にもどり、人が本来の自分を思い出して、やりたいことを気持ちよくやれるようになる。そのシンプルなことがとても大切なことで、時に奇跡を生む。本来それをサポートさせてもらう仕事なんじゃないかなあと思います。
そして、それぞれに専門があり、職人のように仕事をする。
なので、僕がエネルギー療法をできるといってそれでお金をいただくことはありません。どんな体系でもひとつの分野をしっかりと学ぶのには、才能のほか、相応の時間と努力がいります。
ただオステオパシーを提供するものとして、エネルギーの領域から学んでいくことは自分にとってかなりプラスになると思います。安全に配慮した範囲で、学び進めていくうちに、組み込めるものは組み込んでいくので、いままでと同じ価格で受け続けることができるのはお得かも。応援していただけるとありがたいです。
そして今も、解剖生理学を探求し、みられる範囲、アプローチ方法を広げていくオステオパシーの姿勢はリスペクトしていますし、自分自身まだまだであると思います。
オステオパシーをしっかりとつきつめていけば、エネルギー療法を含む他の療法、医療とのしっかりとした架け橋になりえるし、手技療法というのはほんらいそのような広がりがあるものなのではないかと思います。
そんな感じで、エネルギー療法と僕とオステオパシーの立ち位置についてのお話でした。