コロナをきっかけに見えてきた世界から自分たちの健康と生き方を考える

新たな感染症が表に出てきて、人間の世界を騒がせるようになって1年弱が過ぎました。

日本においては2度の緊急事態宣言があり、全ての人にその影響が、現在もあることと思います。

様々な情報が交錯し、陰謀論的なものがあったり、統計に基づいた実証がない、少ないために、何を信じたら良いか、わかりづらい状態が今も続いています。

新たに開発されたワクチンは、ワクチンという名前ですが、従来のものとはだいぶ違います。従来のものは、危険なウィルスを弱毒化したり(生ワクチン)、不活化させたりしたものを投与して、人の自然な免疫反応を刺激するものです。

一方新たに開発されたものは、遺伝子編集技術を応用したものになります。

それぞれ検索してもらえるとわかると思いますが、遺伝子編集技術を用いた治療の、良い面を言えば、今まで治癒が難しかった遺伝性の疾患や、ガンなどの重篤な病気にアプローチをして、大きく改善している例もあります。

そして近年、人の受精卵に遺伝子編集を適用して、遺伝子を改変した赤ちゃんを誕生させた例が出てきて、倫理問題が提起されています。

生まれつき特定の病気に罹りづらくなるように、といったところから、目の色はこの色、知能は高く、運動能力を高く、髪の毛はこの色でこんな毛質でふさふさ、長寿に、老いづらく、など、人間が好きに自分を、子孫をデザインできるようになるという道筋を示している。

そのことに違和感を持つ人が、倫理問題を提起しているのだと思います。

なぜ、その人が、その人らしいのか。なぜその生き物はその生き物らしいのか。そういった生命の本質的なところに手を加えるという境地に、人間が行き着きそうです。

僕はここで宮崎駿氏の映画「風の谷のナウシカ」が思い浮かびます。

映画の内容は大好きで、短く2時間以内に収めるには、あれがベストだったのだろうと思います。そこから、原作の内容はもっと深く広く続いています。

お伝えするために少しネタバレしてしまいます。原作を新鮮な感覚で読みたい方は以降スルーしてください。

文明の果てに、多くの争い、苦悩の末、人間は自分達の理想とする‘神’を作り出し、世界をコントロールしようとした末、裁定を行う‘神‘の手によって滅びました。

滅んだ後の世界に、新たに生まれたのがナウシカ達です。ナウシカ達の文明も同じように争いを繰り返しています。そしてその争いは、過去の文明から連綿と続いてきた延長線上にあったことが明らかになります。

腐海も粘菌も、王蟲も巨神兵も、ナウシカ達も、遺伝子編集と思われるような技術によって、人工的に作り変えられた生命でした。人が汚した世界で生きられるように、浄化を促進するためにつくられた。‘神‘の計画でこれから作られる浄化された後の世界で生きるよう、争いを好まない穏やかな性格の人間の卵まで仕組まれ、用意されていました。それを知り、最後ナウシカはどうするか、自分自身で決めます。

先日、民放で再放送されていたようでしたが、単純にマスクをする世界、という共通点からさらに踏み込んでいたものであるのは、集団深層意識的にも意味深い気がします。

生命とは何か、生きるということはどういうことなのか、今私たちの目の前に、現実の選択肢が現れつつあるように思います。一人一人が自分で考え、最善と思える決断をしていくのだと思います。

みんな薄々、もしくは無意識でわかっているけれど口にしない、見えないふりをしている。大きすぎる貧富の差や紛争、環境破壊など、ほとんど解決がないまま、未熟なまま、どんどん増え続けていった私たちが、AIやバイオテクノロジーなど新しい科学の、強い力を手にした時、何が起こるか。

芋虫ががむしゃらに植物の葉っぱを食べるように、地球を我武者羅に食べては汚してきた私たちが、羽化し、変容するのか、残念ながら絶たれるのかの、瀬戸際にいるような気がしています。

ここで、インドの思想家、クリシュナムルティが残した言葉が、生きる上でのヒントになるかもしれません。

「私」と「他の人」との関係が社会を作っている以上、根本的に「私自身」を変えなければ、社会の本質的機能の変換もありえないのです。

全的で、実り豊かな変革は、あなたや私が自分自身を一つの全的なプロセスとして理解するのでなければ、起こりえません。あなたや私は、孤立した個人なのではなく、幻想や空想との、快楽や権力、名誉、安全などの追求、無知、葛藤、惨めさとの、人類の全苦闘の結果なのです。

もしも私たちが内的にみじめで、混乱しており、カオス状態にあるなら、それが投影されて世界となり、社会となるのです。なぜなら、あなた自身と、私自身との関係、私自身と他の人の関係が社会だからです。

支配と競争と戦争の文化を築き上げたのは思考にほかならないというのに、その同じ思考が秩序と平和を希求しているのである。しかしどうあがいても、思考は決して秩序と平和を見出すことはできないであろう。愛が姿を表すためには、思考が沈黙しなければならない。

敵と味方はともに我々の思考と行動の産物です。我々は敵の創出に責任があり、だから我々自身の思考と行動に気づくことのほうが、敵や味方と関わるよりも重要なのです。というのも、正しい思考は分割を終わらせるからです。愛は敵と味方を超越します。

シンプルだけど、根元に近い言葉のような気がして、自分にはとてもささります。新しい科学技術の力が悪いということではなく、それを扱う側の成熟、心根、意図が大切になってくるのではないでしょうか。

今、一人一人の本質的な健康、それを土台として、歪みや縺れを超えて、らしさ、を出していくことの大切さ。それが鍵になっていくのではないかなと思います。

折を見て、具体的に思考や感情の土台としての肉体の健康の重要性の話ができたらと思います。

手技療法家として人と接してきて、そこから得られた感覚や経験を共有できたら、役に立てるかなあと。

※感染症対策は、施術者の体調管理、マスクの着用、アルコール消毒、換気など、実施させていただきます。

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