土中環境 山形 升形造作4
目次
想定外
8月も行ってまいりました。
計画では入り口部分の水浸し状態の改善と、通気浸透水脈の復活を狙って、ユンボを借りて大きく暗渠を作り、そこに刈った木や、剪定した枝葉などの有機物に砂利や炭などを組み込み作成する予定でした。
ところがユンボを借りる予定をしていた方より、一家全員コロナに罹ってしまったと連絡をいただき、予定変更することに。
入り口部分左側の草刈り、小さなボサ置き
前回刈った草達もある程度復活してきていたし、風通しを良くするために刈りたい部分を刈っていきました。入り口部分の左右の盛り土されたところ。右側は葛が繁茂して、左側の父の知り合いが土を入れたという部分は葦やイタドリの他にもヒルガオなどの蔦植物やヨモギ、ツユクサ、フキなど、様々な種類の草がみられました。落ち着いたらゆっくり観察したいなあ、、と思いつつ、とりあえずボーボーなので、しっかり刈り込みました。
表土が露出すると土も硬くなるので、木の枝のようなものは無かったので、イタドリの茎や枯れた葦などを使ってボサ置きのような事も試してみました。ボサ置き風にしたところに何を植えようか。低木で、この地域にあるようなものを何種類か植えてみようと思います。足掛かりを作る要領で簡単な階段も作ってみました。
入り口右側の草刈り
右と左でだいぶ土や植生も違う様子。右側は葛を刈っていくと割とすぐ表土が見えてきます。上の方は土が硬い、下の方はおそらく盛り土される前の土で、柔らかい。山桑の木とアジサイ?が曲がりながらも生きていたので、腐っているところ以外残してみました。
足掛かりを作りながら上に登れるようにしつつ。
炭作り
鉄工所で仕事をしている友達に一斗缶で作ってもらった、無煙炭化器。熱が閉じ込めらるような作りになっていて、環境改善に適したホロホロと崩れるような炭を作るのに良いとのこと。これを使えば野焼き扱いにはならないそうです。まともに購入するとステンレスでできており、かなり高価。強度や長く使えるかはまだわからないところがありますが、結構いい感じに仕事してくれました。
ゴミ
山桜を含め、入り口右側部分の木は、自然に生えていたものと移植したものが混ざっているそうです。土からは使われなくなったパイプやポリタンクなどが出てきたり、大切に扱われてはいないようでした。
入り口左側の盛り土からも、プラスチック製の壊れたおもちゃや、ガラス片、空き缶やペットボトル(これは通りかかった車から投げ入れられたかな)、割れた陶器などが出てきて、残念な気持ちに。
微生物たちが分解できるようなものとそうでないものはよりわけていく。
分解しづらいものが自然界に与える影響を考える。巡り巡って自分達に与える影響を考える。そんな当たり前のことが、私たちの多くが未だにできていないように思います。
不燃ゴミやプラスティックゴミがどのように処理されて最終的にどこに行くのか。現在もお金になる金属部分は回収されても、リサイクルは全体の2割弱、他は焼却や埋立になります。
葛を掘り起こす
葛に巻きつかれてなんの木かもわからなくなっているものの一つに山桜があります。その根元付近に一際大きな葛の根が。
なんだか威圧感のようなものを感じ、準備ができてから刈って根を掘り起こそうと考えていました。
今回決行。従兄弟が遊びに来てくれ、一緒に掘ることに。
お神酒をあげて、根本を刈って、掘り起こしにかかります。
。。。。雨も降る中、1時間半くらい掘っていたでしょうか。無謀ということに2人気が付きます。
しかも土の表層のすぐ下が粘土層のようになっている。粘って硬い。
よく見ると屑の根も地中というよりか、太い根が横に広がっている。
おそらく池を埋め盛り土をしたことで、通気水脈が絶たれ、土が固くなり、木々が弱っていったのだろうと思います。
ここでタイムリミット。地元新庄のお祭りの都合で、道路が封鎖されたりするので昼前までに戻らなければいけません。 ちょっと消化不良な回でした。
新庄まつり
1756年(宝暦6年)から始まると伝えられている。「宝暦の飢饉」により新庄藩は未曾有の大飢饉に見舞われ、領内では多数の餓死者が出た。新庄藩5代藩主の戸沢正諶(まさのぶ)は、領民に活気と希望を持たせると共に、豊作祈願をするため、新庄城(現在の最上公園)内に鎮座する天満宮(戸沢氏の氏神)の祭典を行った。これが新庄まつりの起源と考えられているーwiki
8月24、25、26日と大きなお祭りでは東北でも終盤の方ではないでしょうか。地元の人たちが「やたい」とよんでいる山車をそれぞれの町内の若連と呼ばれる人達が作ります。山、桜、牡丹、松、滝を必ず飾ることの他は自由で、青森のねぶたを思わせるようなハリボテと人形を組み合わせたりして、御伽噺や歌舞伎の題材をもとにして絢爛豪華にそれぞれの町が競い合うようにして作られています。
近隣地域の在郷衆(ざいごしゅう、農村部の住民)はお囃子を担当しており、楽譜などはなく、口伝を通して伝わってきたそれは町ごとにすこしずつ違いがあったりしてそれも楽しみの一つです。囃子は4曲、寄せ笛、宿渡り(すくわたり)羯鼓(かっこ)二上がり。
子供の頃、囃子の音にとてもワクワクして胸が高鳴った。
山車を引っ張る綱は、子供たちでいっぱい。自分もその中にいて、あの町よりのここの方がかっこいいとか、目をキラキラさせて観ていたのを思い出します。
今は子供の数も少なくなり、加えてコロナでようやく開催。お酒が入っている人も昔のように多くはなく、全体的に大人しい様子です。
素敵な囃子とたくさんの人が元気になるような熱気の炎が受け継がれていってほしいですね。
大きな存在に対する感謝や畏れの心を忘れぬように、思い起こすように。そしてみんなが楽しんで元気に発散できるような形がより昇華されて、祭の形もより進化していったって良いんじゃないかと思います。
多くの人は自然とどう触れ合っていったらいいか忘れてしまっているのかもしれません。大きな存在と言っても、自分自身、日常の中に入るとすっかり忘れてしまう時も多い。それは逆に言えばその大きな存在を通して自分の深い部分に触れる体験とも言えるかもしれません。そんな体験からは多くの人がどんどん離れてしまっているような。
まずは自身の周りからそれを感じられるような自然を回復できたら、嬉しいですねえ。
新庄まつりが終わると地元の人達は夏の終わりと秋の足音を感じ始めます。